20歳21話

秋風蕭条

秋は僕が一番好きな季節だ、過ごしやすい陽気、この匂い…秋が来て友達なんかと街へ繰り出すと決まって鼻で大きな深呼吸をして『いい匂いやな~』と満足げにいつも言っていた。一年の終わりに差し掛かり次の年まであともう少し…一年を振り返るのも大体この時期だ 、過ぎ去った時に思いを馳せて来る年に淡い希望を抱く…この季節が好きなのは秋生まれの僕にぴったりだった。学校も退学したばかりでまだまだ身も心も不安定な時なのにこの季節がそんな自分を少し和らげてくれた。バイト終わりに店前で吸うキャスターの美味しさに焦燥感がひとしきり治まった。

 バイト中同僚の鍋さんはいつも楽しそうにイギリス留学の事を話してくれた、大学卒業後バイトをしてお金を貯め飛ぶようにイギリスへ行きロンドン近郊のバーで二年間働いていたそうだ。ロンドンの地下鉄の事、住んでいたアパート周辺の治安、チェコ人の彼女、一緒に働いていた中国人の話を聞かせてくれた。当時反日暴動が起こっていた中国に対して否定的な発言を僕がすると鍋さんは「中国人の皆が皆悪いわけじゃないよ」と優しく諭してくれた。たまに店に海外のお客さんが来ると鍋さんが楽しそうに英語で談笑していて話し終えた後は決まって「なんの話してたんすか?」と僕はいつも聞いていた、外国の人はみんな政治の話題が多いのか内容はイラク戦争がどうのブッシュがどうの戦争の話ばかりしていたように思う。人生くよくよしている自分とは違って鍋さんの自由で楽観的なところ、知的好奇心強くたまに接客を無視しながらTOEICの勉強をしたり人生はラフな設計…それらが自信となって態度にいつも表れていた。鍋さんのストレスフリーな生き方が不思議でどこかで憧れがあった。クラスメイトとの身分の差に引け目を感じていたこととか週三日のバイトでは自尊心は保てない自分から全く違う自由な世界を鍋さん自身から見せてくれた。そして鍋さんと一緒にいると自然とイギリス留学が頭にちらつきいつしか留学を目標にしている僕がいた、そして以前と変わらず社会に対する漠然とした恐怖もあり、不安定な自分の立ち位置も肯定したかった僕にはうってつけの世界であり何もない自分を虚栄心で塗り固め言い訳として留学という目標を嘘でもいいからでっち上げ始めた。それは半分嘘で半分本当だったのだ、イギリス留学目標を掲げまた自分のモラトリアム期間を作ろうとする僕がいた…

 そんな秋口に差し掛かっていた頃専門学校時代のクラスメイトから飲み会のお誘いがあった、場所は実家の最寄り駅から一個隣にある下町の居酒屋、メンバーは十人ほどで店前で先に待っていた僕にのそのそと近づいて来たのは学生時代優しく接してくれたツイストヘアーがめちゃくちゃ似合う背の高いツイスト兄ちゃん顔を見合わせるとセクシーな笑顔で「元気にしてるの?」と声をかけてくれた、本人はそんな気持ちはなかったんだろうけど精神的に参ってる僕にはすごく温かかった、その優しさに急に甘えたくなった僕は最近精神がよくない事、結構やばいことしてる事を伝えると案の定それは何なのか聞いてきた、「それはさぁ~これなんだとねぇ~」とトレーナー首元のリブ部分を大きく手で下げ胸の傷を自慢げに見せるとクラスメイトはポカーンとした顔で何が起こっているのか分からず五秒ぐらいフリーズしていて僕は初めて目が点になった人を初めて見た。今考えるとなかなかにぶっ飛んだ行動だったが当時の僕の心理としてリストカットは僕が唯一自分自身を肯定できる行為で何より噓偽りのない感情の発露であった…今はそれでしか自己承認欲求がみたせなかった僕がいた。傷跡を見せた後のクラスメイトの苦笑いに対しては直接ストレスを与え申し訳なくて自分のエゴを押し付けてしまった事をその後悔んだ…それは後にも先にも人生で僕がした初めてで最後の自己開示だったのかもしれない。

 

 

過去の話
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