
20歳20話
学校の追試、補修授業を横目に自分の自堕落な生活がのそのそと這うように歩み始めている、週末のバイトはいつも深夜二時に終わりそこから後片付け(レジの締め、掃除、セコムセキュリティーのセット等など)その後店前で同僚とタバコを吸いながら雑談して僕はバイクに乗って帰宅する、バイト先から家まで20分ぐらいなので家に着くころには深夜3時になっていた。生活の中心が週3日のバイトと言えど他にやることがなくバイトしかない僕の生活は夜型になっていき、たまにバイト帰りに彼女の家に泊まりに行くと家に着くなり美味しい料理でいつも迎えて貰った、バイトも楽しかったがバイト終わりの彼女との夜食ほど楽しくこの時間が自分の精神を癒し平静を保ってくれるものはなかった。平日はというと昼過ぎに起きて家でひたすらゲーム、夕方過ぎてからは幼馴染のなんぞうと近くの公園で酒を飲みながらたわいもない話でゲラゲラ笑いあったり別の日にはこれまたなんぞうと街へ繰り出しタワーレコードでCDを漁っていたり、地元の友達と近くの居酒屋で飲み会したり…自堕落ではあるけれどそれなりに充実していたと思う。彼女とは週末バイト終わりにお家デートするくらいで昼間に会えなかった訳じゃないが彼女も学校終わりにバイトに勤しんでいたし平日はたまに学校終わりにカフェでお茶するくらい…当人同士から見ても恋人同士っていう認識はあったし根拠もなくこの関係が続くと思っていたいたがそれは砂上の楼閣であった、僕の将来性のなさと現実逃避ばかりする行動が二人の関係を終焉に向かわせていく事は確実で彼女の事は大好きであっても将来のために何の行動もしない自己矛盾が彼女との関係を終わらせてしまうのは明白だった。だがしかし当時の僕はそんなことつゆ知らずであった。
専門学校の進退について休学の選択肢もあると書いたが僕自身は学校へ行く動機は完全に失っており二年分の学費を納めそこで退学するという形になった。二年目の授業は一学期しか行っていないのに丸々二年分の学費を払ってくれた母親に対して途轍もない罪悪感を覚えた。小さな頃から将来のなりたい職業、仕事を『福祉関係』と親、友達、学校の自己紹介で事あるごとに表明してきたがよくよく考えてみるとそれは幼い時から母親に将来の事…何をして生きていくのか自分で決めなさい、学校を卒業した後は一円もあなたに渡さないからと事あるごとに言われ社会は恐ろしいもの(間違ってはいないけど…)なんだと常に漠然とした不安感の中で生きてきた、小学生が将来何をしたいのかなんてその時の楽しいと思う事(今だったらユーチューバー、スポーツ選手、ケーキ屋さん等々)程度でいいはずなのにまだ社会も知らないような子供が社会を知っている親からすごい剣幕で将来の不安を煽るような事を言われたら真剣に考えないとそら不安になるよね『将来や社会に対する責任を持ちなさい』母親が僕に伝えたいことは大体そんな感じだったと思う。そうは言っても将来に対する責任なんて小学生が負えるわけがない…そこから来る漠然とした不安感は小学生にはなかなかに重い…学校の友達と遊んでいるときはそんな気持ちは忘れられるが家に帰って寝る前に突然未来に対するもやもやとした感情が襲ってくる夜がたまに来て深夜2時過ぎくらいまで布団の中で悶々とする日は少なくなかった。僕はそんな気持ちを和らげるために当時からしたことは将来のあがり(具体的な職業)を決めておくことだった、それは社会的に認められすでにある仕事で、何より母親が納得する仕事ではならなかった。まさにこの不安感とは母親が僕に対する不安感そのもので僕が将来の目的を決めて表明しておけば母親から詰められるこはなくなるだろうと考えた。母親に将来の仕事を表明してから詰められることは減り僕自身の不安感も消えていった…だけどこの時点で人生から逃げ続ける癖が付いてしまったんじゃないか…??こんなムーブをしても事の本質的な解決にはなってはいない…なりたいもののために努力するわけでもそのための意識すらしない与えられたプレッシャーをかわすためのまやかしの行動であり詭弁に他ならないからだ、その結果このざまである…将来やりたいことを決めているという印籠だけで学校を卒業できるわけじゃない…『福祉関係の仕事をしたい』を免罪符に不安感から逃げ続けた人間がカリキュラムの実習を全うできるわけがない。プレッシャーを受け止めるか受け止めないかなんてこの際もうどうでもよくて不安感をずっと抱えたまま大人になると少しの傷が大きくなり躓いただけでそのまま地面にへたり込みなかなか起き上がれなくなってしまう…学校を辞めてもどおってことはない、希望があれば生きていけるんだという事に気づいたのはそれからずっと先の事だった…
