父との初衝突
追試の日が近づいているのに、僕はその試験に向けた対策などしていなかった。追試の発表(7月中頃)翌日辺りから夏休みに入り、追試は8月の中頃、その翌週から2週間の実習が始まる。この時僕は専門学校を辞めるなんて事は頭になかったし、それが現実になるなんて思っていなかったが、身体から魂が完全に抜け、もうなるようになれと感覚的に生きていた。こんな状況で母親に「辛い」と言えばどう接してくるのだろう?怒られるのだろうか?母親に今まで弱音を吐くことやまして楯突くことなんてなかったのに…今のこの気持ちをどう伝えればいいのか分からない、というか怖い…でも今の僕を救ってほしい、楽にしてくれるのは母親だけだった。福祉系の専門学校を勧めてくれて授業料も払ってくれている母親だけが唯一僕に審判を下してくれる人だから。
母親に追試を受けないことを伝えたのはいつだったのかはっきりと覚えていない。夏休みに入ったある夜に確か左腕のリストカットを見られた時だったと思う。母親はすぐに僕の状況を察し次の日あたりに学校へ連絡してくれ担任の先生と色々話し合ったらしく、追試の事など僕のこれからの学校生活を色々と相談してくれた。母親から追試はどうする?と聞かれたが受けないというよりも、受けられる様な状態じゃないみたいなニュアンスで母親に力なく答えた。
次の日、転勤中の父親が久し振りに家に帰る事になり、最寄りの駅まで車で迎えに来てくれと父親から連絡が来た。迎えに行くと父親は明らかに苛ついていて、僕に対する不信感や嫌悪感がはっきりと伝わってきた。父親は知っている…僕が専門学校を辞めようとしていることを…駅から帰りの道車「学校辞めるんか?」「学費に一体いくらかかっていると思うんだ?」呆れたトーンで僕に吐き捨ててきた、父親の声からまさか辞めるわけはないよなというトーンが僕の心を追い詰める。僕は何一つ言い返すことなく家まで父親を送り届けた。
次の日の夜、家の2階にある僕の部屋で母親と話し合った結果、最後に「じゃあ学校辞めるでいいね?」水を向けられたというよりも、僕の意思を丁寧に汲んでくれる様な言い方で最終確認をしてくれ初めて母親の優しさを感じた。(当たり前だけど学校を辞めるという重大な事をしっかりとした気持ちで話し合った事は初めてで、母親と向き合ったという事実が僕にとって何かすごい重要で新鮮だった)自分の思いが初めて母親に通った様な感覚がしてなんとも幸せな感覚が身体を巡り安心感を覚えた。母親はそのまま家にいる父親に事の顛末を伝えに1階に降りていった。
安堵感を覚えたのも束の間だった、父親の低く怒気のある声で僕を呼ぶ声が1階から徐々に近づいて来た。僕は本能的に怖くなって部屋のドアを閉め自分の背中をドアが開かないように必死に押し付けた。今まさに父親の怒鳴り声がドアの真正面に来たと同時にドンドン!!とドアを叩く音、「今すぐ家から出ろ!!」の父親の怒声がドア越しから聞こえてくる。ドアを開けようとする父親、それを必死で防ごうとドアに背中を押し付ける自分。どのぐらいだったか覚えていないがしばらくすると父親はドアから離れいなくなった。勘当ってよく言うけどこういう事なんかな…
許して、申し訳ない、怒られて当然という気持ちよりも、そんなに怒らないでくれ自分は今どうしようもないんだ…今僕に何も出来ることはないんだからと…家を出て生きられるわけないやん…
家族に恨みや怒り、嫌悪があって18歳を超えたら家から出て自立してやるぞと言って実際一人で生きていく人もいる。だけど僕はそうじゃない、母親からの厳しい目、毎日行われる祖父の祖母に対するDV、影があまりない父親…家にいる時はいつも不安感があって辛いけど家から出て自立したいと言うほどでもない。安心する家に居たい。ホントはずっとこの家に居たい。甘えたい。だけど今僕は勘当されそうになっている。心の井戸に何か投げてみても底で跳ねる音なんて聞こえない。