起床

24歳67話

 次の日の朝目が覚めると何というか身体が鉛の様に重たくて布団から中々起き上がれない。その症状は日に日に重たくなっていき母親に症状を伝えたところ心療内科に行ってみればとの事。毎日毎日焦燥感と絶望感で目が覚める。何とかしないと、挽回しないと、早く社会というものに足を踏み入れないと…気持ちは焦っていた。病院はさておき僕は鉛の様な重い身体でバイクに跨り町へ出て求人雑誌やら漫画喫茶のインターネットコーナーで仕事の求人を手当たり次第に探し始めた。目ぼしい仕事は見つからず取り敢えず家に帰った。求人雑誌をパラパラとめくってみても自分に出来そうな仕事は見つからないように思えた。まだモラトリアムを引きずるつもりか?仕事を探しながら思った事は仕事は世の中に結構あるもんだなとも思った。フリーペーパー、インターネット、週末のチラシ。そう考えるとそう遠くない時期に就職も出来るかも知れないと考え気持ちが少し楽になった。

 結構待たされただろうか貰った受付番号が読み上げられた僕は診察室に入った。中に入ると初老の先生が座っており、すぐさま僕は今の症状を伝えた。とにかくもうどうにもならないと…特に焦燥感と寂寥感が半端ない事、今喋っているこうしている間も…そうすると医者はその場で頓服を用意してくれその場で飲ませていただいた。だがうんともすんとも効かへん。診察が終わり薬局で薬を貰い、その日からお薬生活が始まった。母親から見ても僕の様子は辛そうに思えたらしく、気を紛らわすためにお金を渡されこれでゲームでも買ってきなさいと言われ僕はPSPの本体を次の診察帰りに買いに行った。勿論ゲームをしたところで焦燥感や寂寥感が治まることはなくあんな悲しい気持ちでゲームをしたことは後にも先にもこの時期だけだった。

 鉛の様な身体に押しつぶされないために僕は必死やった。このまま身体が動かなくなるんじゃないかと朝、近所の公園で散歩することに決めたが、一人では不審者がられるのを避けるためなんぞうに電話して散歩に付き合ってくれへんかと頼んだら快諾してくれた、ホンマに感謝してる。この時期無理やり身体を動かしている時だった。なんぞうと一緒に街へ行った時だって10メートルおきにその場でうずくまり身体を休めまた歩き出すの繰り返しやった。身体が鉛の様に重いのもそうやけど視界もなんか変や、ちょうどガラケーのカメラぐらいの画素数に見えるものすべてがそう映るんや。視野狭窄になり僕の人生は終わりやとなりこんな症状が出たが、今は視野狭窄とかじゃない目の前の事すらも考えられへん、身体がただ辛いんや。 

次回はなんぞうとドライブ

ブログするなら↓↓↓↓

過去の話
スポンサーリンク
スポンサーリンク
ねこのはいかいをフォローする
タイトルとURLをコピーしました