振り返り

分かれ目

 専門学校に入学した時は学生生活三年間を全うしその後福祉関係の職場で白いカッターシャツに袖を通し颯爽と働く自分を思い浮かべていた、そして30歳までに結婚家族を持ち…みたいな。それが卒業はおろか学生生活すらまともに出来ずこんなに早く人生へたり込むなんて全く想像していなかった…その原因を考えるとやはり一つの引き金になったのは二回目の実習での出来事だったのは間違いない、あの胃ろうをされた入居者…あの姿を見て以来僕の中で何かこう死の衝動が沸き起こり生きるという意欲がなくなってこの先福祉関係の仕事の仕事を目指したところで似たような体験をするのは避けたいと強く思ったからだ。    福祉関係の仕事しか考えてこなかった僕にとってそれは将来に対するイメージの喪失で社会での自分の立ち位置は完全に宙ぶらりんになりそれはそれで不安にはなるが逆に未来の事に対して何の責任の持たなくていい完全自由なモラトリアム期間に突入した、母親が自分のメンタル不調によって性格が様変わりし急に優しく甘えられるようになった事も大きく作用した。

 当時を振り返ってみても学校を退学し、将来を悲観した事は自然なことだったし実習の件を考えてみても退学は避けられなかったとは思う。ただその後の自分の行動を振り返ってみてこれは避けたほうがよかったと思う事は一つ、バイトを昼職に変えて勤務日数を週五にする事。その理由は僕がその後長いニート期間に陥り精神疾患になったのは深夜三時まで働くバイトが大きく影響したと考えているから。週三日で深夜までのバイトは僕にとって小遣い程度にしかならないし人生の比率が自堕落な生活に重きを置いている、そうなってくると自分の立ち位置はどちらかと言うと『社会』よりも『家』寄りになっていく…そこからだんだんと社会から距離が離れていった…あの時家に重きを置かずバイトでもいいから毎日働く日常があれば心身ともにある程度健康なままだったんじゃないかとは思う。30過ぎになってインスタグラムを始めた時に試しに専門学校時代のクラスメイトの名前を打ち込むと福祉関係とは全く関係のない仕事をしていてそれを見た時、若い時にそこまで将来の事を思い詰めなくてもいいんだ、ある意味適当にやっても何とかなるんだな~と、どれだけみすぼらしくても社会に両足さえ突っ込んでいればニートにも抑うつにも統合失調症にも障がい者にもならなかったのかもしれない…

 

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