21歳46話
年が明け二月が終わろうとする頃、僕はホノルル国際空港に家族と降り立っていた。空港に降り立つと真っ先に喫煙所を探しロングピースを咥えながらその他大勢いる日本人観光客と一緒に一服していた。飛行機に乗っていた乗客全員が喫煙者ではないかと思うくらい空港はタバコの煙に包まれていた。今思うと空港の職員さんが日本人観光客の副流煙に毎日悩まされていたとおもうと申し訳ない気持ちでいっぱいだ。今回は家族で五回目のハワイ旅行になる。一度目が小学校4年生の時、二度目が6年生、三度目が中学3年の時、四度目が高校3年生の時、そして今回だ。父親が特にハワイが好きでこの頃は、大勢の日本人がハワイに訪れていた。ハワイの良さは先ず何と言ってもその気候だろう。常夏の島と言われるように日差しが容赦なく降り注ぐが、同時に湿度のない風が自然の香りと共に身体に纏わりつくと不思議とその光が身体にエネルギーを注入されているようで幸せが漲ってくる。日本と違い日差しが強くても木陰に身を置くと湿度の違いなのか全く暑くない。アメリカの道路、家、お店、匂い、自然。初めて行った時はハリウッド映画の中にいるような気分になった。初めてマクドナルドでMサイズのコーラを頼むと日本では決して出てこないようなXLLLサイズ級のドリンクが出てきた。セットで頼むとパイナップルが付いてくるのはハワイらしいなとも思った。
今までの旅行と違うのは僕自身この旅行にあまり乗り気ではなかったこと。その理由はそもそも人生が楽しくない状態で旅行なんかに来たって面白くもなんともないからだ。あとはやっぱり自傷行為で出来た胸の傷…ハワイと言えばやっぱりビーチであり海だ。子供の頃はハワイの海にいい思い出しかないし、毎日どこかしらの海で泳いでいた。せっかくハワイに来たのに胸の傷が気になっていた。実は旅行の日程が決まった時から自傷行為は控え、旅行する時期には傷を見えにくくしてから行く予定だった。それが功を制したのか傷跡はあるものの遠目には分かりにくく裸になってもギリ大丈夫な見た目になっていた。
一週間の旅行日程だが何をしているのか分からない。ワイキキビーチを朝散歩している時だってこれが今自分の人生の現実なのか分からない。ウォークマンを聴きながら浜辺を歩いて感じるのは朝の爽やかな潮香で引いては返す波の音が不安定な心臓の鼓動に寄り添ってくれているようで少しばかり穏やかになる。旅行五日目だっただろうか、波の出るプールで溺れかけたことがあった、ぼんやりと旅行に来たわけだが生死を分ける様な出来事で我に返ることもある。波の出るプールから何とか生還しプールサイドを歩いている時に案の定、人からの視線を感じる、やはり思ったより傷は目立っていたようだ。おかしいだろう?こんな陽キャが集まる常夏の島に胸に網の目状の傷がある顔の死んだ様な人間を見るのは。しかし当の本人は恥ずかしがるどころか寧ろ誇らしげに、その傷を見せつけるようにプールサイドを闊歩していた。辛い自分が好き、病んでいる自分が好き、行き詰まっている自分が好き。それも猶予期間があっての事なのだが。
旅行最終日の夜、免税店で彼女のお土産として虹色のアロマキャンドルを二つばかし購入した。